俺は運命って言葉が嫌いだ。
生まれ、出会い、別れ、成功と失敗、人生の幸不幸…
それらがあらかじめ運命によって決められているのなら
俺達は何のために生まれてくるのだろう。

裕福な家庭に生まれる人、美しい母親から生まれる人、
飢餓や戦争のまっただ中で生まれる人…
それらが全て運命だとすれば、神様ってヤツは
とんでもなく理不尽で残酷だ。
 
あの時から俺達には未来なんて無く、ただとして、
何者にもなれないってことだけははっきりしてたんだから。

アバンのこの冠葉のナレ、第一話で晶馬がアバンで言っていた
ものと一緒だよね。僕が俺になってるだけで。どうして、ここで
またこのモノローグを出してきたのか、しかも今度は冠葉で…
このモノローグが流れている間、眞悧が誰かの病室を訪れたり
病院の先生の部屋の机の上にある写真が写ったりしていたが、その
写真が第36次南極環境防衛隊という人達の南極での集合写真で
その中には高倉家の父親の姿があった。眞悧がなぜか
ウロウロしていて、その手に握られた紅い林檎、そこに貼られた
シールが、アンプルのマーク

そういえばOPでも眞悧のシーンにはアンプルが絡んでいるよね

後は続きからどうぞ